◆二見興玉神社 ~伊勢神宮への清き道途~ (2016 文月)
三重県伊勢市二見町江に鎮座する二見興玉神社を参拝しました。
“祈誓の道途” 参宮線に乗って訪れたのは二見浦駅。
浜参宮の地・夫婦岩で有名な二見興玉神社の最寄り駅でもあります。
夫婦岩をモチーフにした駅舎↓↓↓
駅前にある立派な鳥居↓↓↓
夫婦岩モチーフの駅舎を遥拝する↓↓↓
駅前の鳥居の先にある夫婦岩表参道を進む↓↓↓
旅館街の中を進むを夫婦岩表参道。
かつて二見は伊勢神宮を参拝する人々の旅籠町として発展してきました↓↓↓
夫婦岩表参道沿いにある賓日館。
明治20年(1887)に伊勢神宮の賓客の宿泊・休憩施設として津藩の砲台跡地に建設されました。
国指定の重要文化財でもあります↓↓↓
二見浦と先に見える二見興玉神社が鎮座する立石崎↓↓↓
二見浦は清渚と称され、
伊勢神宮参拝者は禊場である夫婦岩のある立石崎の浜(立石浜)で禊を行ってから伊勢神宮の外宮・内宮を参拝するのが古くからの慣わしであり、
これを浜参宮といいます。
また他にも二見浦と伊勢神宮との繋がりでいえば、
御塩殿神社付近の打越の浜(打越浜)には、かつて伊勢神宮に奉納される堅塩を作るための御塩浜(塩田)がありました。
しかし海岸侵食により塩田が維持できず、御塩浜は五十鈴川河口付近に移設されました。
そして今一色海岸付近の高城の浜(高城浜)では、
明治4年(1871)以前まで毎年9月13日に豊受大神宮(外宮)の祢宜が身を清めてい「浜出」というものが行われていました。
その繋がりで今一色海岸は「長官浜」とも呼ばれているそうです。
さらに神前神社付近の海岸(神前海岸)では明治時代に廃止されるまで、
天照大御神に神饌として奉納するために海の幸を採る「贄海神事」という皇大神宮(内宮)の神事が執り行われていました。
このように二見浦は伊勢神宮と大変繋がりが深いところでもあります。
清渚・二見浦ノ景
ちなみに二見浦には明治15年(1881)に開設され、日本の海水浴場第一号となった二見浦海水浴場もあります↓↓↓
夫婦岩で名高い二見興玉神社に到着↓↓↓
二見興玉神社は興玉神石を拝する神社で、祀られている祭神は猿田彦大神と宇迦御魂大神の2柱。
興玉神石とは猿田彦大神が出現したとも伝わる霊石で、夫婦岩の沖 約700mの所に鎮まっています。
興玉神石は東西240m 南北120m 周囲は960m 高さは7mほどもあるとゆう巨大な岩礁ですが、江戸時代に発生した地震により海中に沈み暗礁となりました。
こんな感じだろうか? ↓↓↓
また興玉神石の遥か先には富士山がそびえており、日の光が最も強くなる
夏至には夫婦岩の間から興玉神石・富士山・日の出と直線上に並ぶ光景が現れます。 (興玉神石は見えません)
夫婦岩はこの「興玉神石」と夫婦岩の間から昇る「日の大神」と崇め奉られる
日の出を遥拝する鳥居の役割を果たしているそうです。
夏至には夏至祭が執り行われます。
二見興玉神社・第一鳥居↓↓↓
夫婦岩と呼ばれているのは大岩(男岩)・小岩(女岩)の両岩で、その周りには屏風岩・獅子岩・烏帽子岩がある。烏帽子岩は上が蛙の姿をしていることから蛙岩とも呼ばれています。
ここから 「興玉神石」と「日の大神」を遥拝する↓↓↓
夫婦岩は高さ9mの大岩(男岩)と高さ4mの小岩(女岩)からなり、
両岩は35mの大注連縄5本で結ばれています。
大注連縄は大岩に16m・小岩に10m巻かれ、両岩の間は9mあります。
大注連縄は5月・9月・12月の年に3回、大注連縄張神事として張り替えが執り行われます。
また5月には興玉神石に生える藻を刈る藻刈神事も執り行わています。
夫婦岩と呼ばれるようになったのは明治時代以降のことらしく
それ以前はこの立石崎にちなんで「立石」や「立石さん」と呼ばれてきたそうです。
ちなみに現在の小岩(女岩)は明治7年(1918)に台風で破損したものを明治10年(1921)に修復し固定した姿です↓↓↓
大岩(男岩)には海鵜がとまっていました。
絵になるぜ!!
ちなみに岐阜県岐阜市の長良川で行われる鵜飼で使われる鵜も海鵜です↓↓↓
横カラ夫婦岩ノ景↓↓↓
烏帽子岩(蛙岩)のズーム。 なるほど、たしかに蛙に見えます↓↓↓
二見興玉神社の境内には二見蛙と呼ばれる蛙の像が多数奉献されています。これは蛙が猿田彦大神の神使だからとも、
この地が日の神の拝所であり、日の神に谷蟆(たにぐく・ヒキガエルの古名)を献じたからとも、
伊勢神宮参拝者が旅の安全などを祈念して無事帰る(蛙)の願いからだとも伝わっているそうです。
手水舎にも二見蛙↓↓↓
過去の旅写真展 PART 12 に続く・・・
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